57 泥棒の話
むかし、人家があまりなく、所々にこんもりと雑木林(ぞうきばやし)が見えるだけの、一面の原だった頃、青梅橋(東大和市駅北側)から西へ富士山を眺めながら歩く旧青梅街道には、一抱(ひとかかえ)えもある桜の並木が続いていました。
あまりにも見事な桜並木に人びとは桜街道(さくらかいどう)と言っていました。
春は花見の人や、小学生の遠足などで賑(にぎ)わい、花火を打上げたりしました。
この街道沿いにダンゴ、お茶、お酒などを売っている"休み処"がありました。七左ヱ門という人が商(あきな)っていましたので"七店"(しちみせ)と呼ばれていました。花見客の賑いも日暮れになると、人家から離れているのでたいへん淋しくなります。
人通りの少なくなった街道には追剥(おいはぎ)が出没(しゅつぼつ)することがありました。ある日、人通りも途絶(とだ)えて困った追剥のしわざなのでしょうか……七店に泥棒が押入(おしい)ったのです。七左ヱ門さんは、女、子供には危害(きがい)は加(くわ)えないと思い、奥さんと子供を残したままとっとこ逃げ出してしまいました。土地に詳しい七左ヱ門さんとかけっこをしたとんまな泥棒は、「くたびれもうけだんべえ」と人びとの笑い者になりました。
現在の大和病院の東にあった"山ノ神"の森も淋(さみ)しい場所で追剥が出たそうです。今の町並からは、とても想像ができないことです。
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